月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年7月14日(日)

ルカ10章25-37節 隣人に「なる」

  

しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」と言った。…「さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」(ルカ10:29,36)

 聖書では隣人を愛することが大切だと勧められています。そして、ユダヤ人にとって隣人とは、同胞であるユダヤ人のことでした。しかし、主イエスは隣人愛について話すに当たって、あるサマリア人が瀕死の人を助けたという話をしました。サマリア人とユダヤ人は互いを敵視し合っていました。それなのに主イエスは、サマリア人が隣人愛を実行したという話を、ユダヤ人に対してしたのです。

 「わたしの隣人とは誰ですか」という問いは、自分にとって隣人である人もおり、そうでない人もいるという認識を前提にしています。それに対して、主イエスは、目の前にいる人と「隣人になる」という話をしました。隣人愛とは、それに当てはまる人と当てはまらない人を線引きした上で行うことではないということです。私たちは、神がその人を造られ、神がその人をこのわたしと同じように愛しておられるから、その人の隣人になります。

 何より、主イエスが、私たちがどのような者であろうとも私たちの隣人になってくださるお方です。ですから、私たちは出会った人の隣人になるのです。

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