月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年10月 9日(水)

エゼキエル10-11章 主の栄光は民の日々を照らす

  

「主なる神はこう言われる。『確かに、わたしは彼らを遠くの国々に追いやり、諸国に散らした。しかしわたしは、彼らが行った国々において、彼らのためにささやかな聖所となった。』」(エゼキエル11:16)

 「主の栄光」がエルサレム神殿から去ってゆきます。敷居にとどまり、東の門の入り口に止まり、都の東にある山の上にとどまり。まるでその場所から離れることをためらうように、まるで腐敗に染まったその場所をなお愛でるようにゆっくりと、その輝きを移動させていきます。その光景を、霊に導かれ、追いかけていくエゼキエルはついに見ることになります。神殿が主の栄光を失う瞬間の幻を。民の罪がもたらした当然の帰結と、神の強いご決意を。

 その光景を追いかける真っ只中でエゼキエルは聞きました。神に出会う場所としての神殿を失い、各地に散らされた民に向けられた主の約束の言葉を。「わたしは、彼らが行った国々において、彼らのためにささやかな聖所となった」。

 主の栄光は民を追いかけるように散って行った先々に輝き、その日々をささやかに照らします。彼らを守るために。彼らが神をあきらめずに慕い続けるために。そしてもう一度、出会うために。

 主の栄光が、この一日を照らします。その輝きに私たちは見つけるでしょう。共にあってくださる神のご決意を。

Copyright (C) 2019 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.