月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年10月10日(木)

エゼキエル12章 奇異な行為に神の恩寵が潜む

  

「あなたは言わねばならない。『わたしは、あなたたちのためのしるしである。わたしがやって見せたようなことが、彼らに起こる。彼らは捕囚として、捕囚の地へ行く。彼らの中の首長も、暗闇の中で荷物を肩に担ぎ、壁に運び出すための穴をうがって出て行く。彼は目でこの土地を見ないように顔を覆う。』」(エゼキエル12:11-12)

 幻は離れ、その意識をバビロンに戻したエゼキエルは続けて、エルサレムに残る民への預言を神から受け取ります。それは民に待ち受ける末路と希望とを示すものでした。

 エゼキエルが命じられたことは、第一に昼間に自分の荷物をまとめること、第二に夕方に家の壁に穴をあけること、第三に暗闇の中、穴から荷物を担ぎ出すこと、すなわち、夜逃げを演じてみせることでした。その一連の奇異な行為に、捕囚民の誰かが「何をしているのか」と尋ねたならば、その者にだけ、行為の意味が明かされます。エルサレムの民は暗闇の中を夜逃げしなければいけない。その悲惨を捕囚民は既に知っています。その悲惨が、これからエルサレムに残る民にもたらされる、民は改めて主が真実な方であることを痛みと共に知るでしょう。

 その痛みに、捕囚の真の意味を知らせる主の言葉が重ねられます。それは彼らが主の力をその心で知るためでした。そして、その力を語り伝えるためでした。そのために彼らは生かされます。

 神を尋ね求める者に神はその人が生きる意味を一つひとつ明かされていきます。

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