月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年11月16日(土)

エゼキエル19章 悲しみの歌

  

今や、その木は
荒れ野に、乾いた水なき地に
移し植えられた。
また、若枝の茂る太い枝から
火が出て、実を焼き尽くした。
それゆえ、この木には
支配者の杖となる強い枝はなくなった。
この歌は悲しみの歌。
悲しみの歌としてうたわれた。(エゼキエル19:13-14)

 エゼキエルは、南ユダの王ヨヤキン王と共にバビロンに連れ去られ、捕囚の地で預言を語りました。19章は、残されたエルサレムについて歌う、「哀歌」と言われる悲しみの歌です。神の裁きにより滅びゆくイスラエル(南ユダ王国)、3、4節はとくにヨアハズ王、5〜9節はヨヤキム王、10〜14節はゼデキヤ王について歌っています。

 ユダの地エルサレムは焼き尽くされ、国の滅亡へと至ります。最後の王ゼデキヤの主への反逆により、国の滅亡を避けて通ることはできません。ダビデの子孫による王制が終わりを告げます。主を忘れ、自らの力で国を繁栄させようとするとき、主の裁きを逃れることはできません。

 しかし、自らの罪を嘆き悲しむとき、主なる神が寄り添っておられることが示されます。主なる神は、エゼキエルを通して、ダビデの子であるメシアによる永遠の契約をお示しくださいます(37章24〜28節)。悲しみを通して受け取るべきは、主の裁きの厳しさ以上に、主を信じる者に与えられる救いの恵みです。悲しみの中で主を仰ぎ見て、神の救いの御業に感謝しましょう。

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