月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年11月27日(水)

箴言15章 キリストの栄光に包まれて生きる

  

神に従う人の家には多くの蓄えがある。
神に逆らう者は収穫のときにも煩いがある。

心に喜びを抱けば顔は明るくなり
心に痛みがあれば霊は沈みこむ。(箴言15:6,13)

 深く悲しく辛い思いが心を占めるとき、私たちの顔色は暗く、生気が感じられません。

 本来、キリスト者はキリストと共に死んだのですから、怖いものは何もないはずです。ところが、この世に財産や地位、名誉などに未練がある場合には、主に委ね切っていません。片足をまだこの世に置いて生きているからです。

 「財宝を多く持って恐怖のうちにあるよりは、乏しくても主を畏れる方がよい」とまさに箴言が指摘するとおりです(16節)。

 画家のミレーは農民を力強く描いています。『晩鐘』という絵は、1日の労働を終えた夫婦がその日の収穫を前に置いて祈っています。その収穫は、わずかなじゃがいもだけです。それでも心から感謝している姿と私たちには見えます。物質に左右されずに主に感謝する基本的な姿勢を鑑賞者は読み取ることができるからです。

 私たちキリスト者の生き方は、無一物のようであっても多くを持っているのです。命にあずかる喜びに生きているからです。きょうも1日、主と共に歩みつつ明るく生きられますように。

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