月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年3月29日(日)

ヨハネ9章1-41節 主の恵みの御業にある幸い

  

イエスは言われた。「わたしがこの世に来たのは、裁くためである。こうして、見えない者は見えるようになり、見える者は見えないようになる。」(ヨハネ9:39)

 主イエスの御目はいつも、試練にある人、苦しみ・悲しみにある人、この世の弱者に注がれています。本日は、主イエスが生まれつきの盲人に出会われ、癒されたお話です。

 ここには盲人が癒されるという主の御業が記される一方で、ファリサイ派と呼ばれる人びとが、癒された盲人に近づき、遂には追及の果てに外に追い出す(34節)という、人間の罪の深さと愚かさとが記されています。私たちは、この個所から人間の罪深さ、すなわち自分の罪深さと、主の御業の偉大さを見つめます。だからこそ感謝し覚えたいのです。私たちも、最初、信仰的盲目の状態にありました。しかし、主イエスに出会って、目が開かれました。そして主イエスに出会うことで、きょうの主人公のように御前にひざまずき「信じます」との告白に導かれたのです(38節)。

 これまで盲目で見えていなかった罪と闇の世界から解放されて、今、私たちは主の恵みの御業がはっきりと見える幸いへと招かれています。「神の業がこの人に現れるためである」(3節)と言われた主イエスの御言葉の意味を、深く心に留めたいと思います。

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