月刊誌リジョイス 聖書日課 2020年9月28日(月)

アモス5章 主を求めて、生きよ

  

まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。
わたしを求めよ、そして生きよ。
しかし、ベテルに助けを求めるな
ギルガルに行くな
ベエル・シェバに赴くな。
ギルガルは必ず捕らえ移され
ベテルは無に帰するから。
主を求めよ、そして生きよ。(アモス5:4-6)

 主の懲らしめの中を苦しむ主の民に向かって、主はおなかが痛くなるような思いでおっしゃいます。「わたしを求めよ、そして生きよ」と。

 主を捨てて、主から離れ、別の神々を求めて、結果として主からの懲らしめを受けるイスラエルに対して、主なる神はいつも手を差し伸ばし続けておられます。

 「あなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。…あなたの神、主は憐れみ深い神であり、あなたを見捨てることも滅ぼすことも、あなたの先祖に誓われた契約を忘れられることもないからである」(申4章29〜31節)。

 たとえ懲らしめのただ中にあっても、主なる神の私たちへの憐れみは変わりません。神の民が、神を求め、神との命の交わりのうちに生きる。それが、失われた子たちを捜し求める父なる神の本心です。

 罪ある人間の親でも、自分のもとを去った家出息子、家出娘を待ち続けるものです。ましてや、私たちの父である神は、きょうも私たちが、神との交わりを求めることを待ち続けておられます。

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