月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年3月 3日(水)

ルカ15章25-32節 この喜びを一緒に喜んでくれ

  

「すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」(ルカ15:31-32)

 ある大学に、この人以上に罪深い人はいないだろうと噂される悪い教授がいました。ある日、その教授をよく知るクリスチャンの教授が、キリストの十字架による罪の赦しを証しすると、その悪い教授は言いました。「俺ほどの悪人が赦されて天国に行けるはずがないだろう」。すると、そのクリスチャンの教授は、「いや、行けます」と、何の躊躇いもなく答えました。

 その二人の会話をそばで聞いていた学生が心の中で叫びました。「キリスト教とはそんな不公平な宗教なのか」と。その学生の叫びは、放蕩息子のたとえに出てくる兄息子のそれと、どこか似ています。

 父は弟息子の立ち帰りを大いに喜び、祝宴を開きました。それを知った兄息子は、怒って家に入ろうとしません。それもそのはずです。弟は父に対して大きな罪を犯したのですから。ところが、父は兄息子に言います。「お前のあの弟は…いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか」。まるで、「一緒に喜んでくれ」と言わんばかりです。

 一人の罪人の救いは、教会にとっても大きな喜びです。

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