月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年3月13日(土)

ヨハネ6章22-59節 わたしは命のパンである

  

そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(ヨハネ6:34-35)

 主イエスは群衆に向けて語りかけられます。彼らは、あの5千人給食によって満腹し、主イエスを追いかけてきた者たちです。アンパンマンではありませんが、おなかを満たしてくれる人こそヒーローです。希望です。

 主イエスはそういうヒーローでした。でも同時に、それ以上の方でもありました。主は彼らに、おなかを満たすだけではなく、命そのものを人間に与える「天からのまことのパン」、「命のパン」を受け取りなさいと促されます。

 そして、その命のパンとは、「わたしである」と主イエスは断言されます。これは根源的な発言です。このわたしそのものが命のパンであって、それを食べる、つまり主イエスのもとに集い、信じるならば、飢えることも渇くことも無いと断言されています。

 残念ながら、命のパンより食べられるパンをと願う悲しさを人間は抱えています。皆、目の前の地上的な問題に苦悩していて、具体的助言ばかりが求められます。でも、たとえ遠回りに思えても、「命のパン」である主イエスをただ信じなさいという福音にとどまることが大切なのだと、年々思わされています。

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