月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年3月18日(木)

ヨハネ11章1-44節 わたしは復活であり命である

  

イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」(ヨハネ11:25-26)

 主イエスは、病気によって死んでしまった愛する友ラザロをたずね、彼を墓から呼び出して甦らせます。そういう意味ではラザロの死ということが一貫して物語の軸になっています。しかしここで主イエスが一番問題にされていることは、ラザロの死ではありません。むしろ本当の問題は、マルタの死であり、マリアの死であり、弟子たちの、そして私たちの死であります。それは肉体の死のことではありません。マルタもマリアも私たちも生きているのです。でも主イエスは、その私たちの死を、ここでは一番の問題にしておられます。それは死で終わるという現実を前にしての希望なき生の問題です。

 死で終わらない命、それは死の回避ではなくて、死してなおその死を乗り越える、死の向こう側に表れ出る命です。ラザロが生き返ったように、主イエスを信じる者の最後は決して絶望の死ではない。絶望が、なお希望する。

 「わたしは復活であり、命である」と言われる方を信じる者は、死んでも死んでも生き返り、肉体の死さえも超えて、必ず最後は希望の命に至ります。つまり希望の限界がないのです。

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