月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年7月 2日(土)

ルカ23-24章 わたしの前に差し出される十字架

  

人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。(ルカ23:26)

 ここで唐突に、前後の文脈も何もなく、突然、キレネ人シモンが登場します。彼は、無理やり主イエスの十字架を背負わされて、主イエスのあとを歩ませられました。

 なぜこの大事な場面でキレネ人シモンなのかと思いますし、わたしは以前、彼はなんと気の毒な人なのかと思っていました。しかしこれは、シモンに降りかかった不運であるどころか、彼への救いです。

 今で言えばリビアというエジプトの西隣の、当時の地図の最西端に生まれた彼は、しかし十字架へと引き寄せられ、イエスの弟子たちや家族でさえ近づくことができなかった主イエスの十字架に、直接触れるところまで引き寄せられました。さらに、その十字架を背負って主イエスの背中に従って歩みました。

 十字架は誰のためのものなのかがここに表われています。十字架の救いは、距離を超え、国境を越え、人種を超えて、キレネ人シモンを深く捕らえ、さらに彼を通して世界に広がるのです。つまり、シモンに起こった十字架との触れ合いは、どこに住んでいる誰に対しても、遠い隔たりなどお構いなしに、力強く起こり得ることなのです。

 キレネ人シモンの姿は、この私たちの姿でもあります。

 【祈り】 わたしも主イエスの十字架の前に近く招かれています。きょうもこの救いの十字架に触れさせてください。

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