3人の友人との対話を終えたヨブは、過去の幸福と栄光を振り返ります。そして現在の悲惨を嘆き(30章)、神に向かって潔白を主張します(31章)。ヨブの過去の幸福の中心には神との親しい交わりがありました。彼は常に神に守られ、神の御光に導かれて歩みました。そのような神との親しい交わりの喪失が、ヨブの嘆きの中心だったのです。かつて受けた人びとからの敬愛も、財力や権力によるものではなく、身寄りのない子らを助け、やもめの心をなぐさめ、障害のある人や貧しい人たちを助ける愛の実践によるものでした。ヨブが嘆くのは、世俗的な栄光を失ったからではなく、神の僕として隣人愛に生きた、充実した人生を失ったからなのです。つまりヨブの信仰はサタンが訴えたようなご利益信仰ではなく、何よりも神と共にいることを喜ぶ信仰だったということです。このヨブの悲しみに彼の信仰がよく表れています。だからこそ、神に挑戦するという信仰の危機を通りながらも、最終的にヨブは「神と共にいる」という幸いなゴールに導かれるのです。あのころ、全能者はわたしと共におられ
わたしの子らはわたしの周りにいた。(ヨブ29:5)