月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年7月25日(月)

イザヤ1章 キリストに進んで従うなら

  

お前たちが進んで従うなら
大地の実りを食べることができる。(イザヤ1:19)

 イザヤ書は、主に背き、神を捨てた選びの民の罪深さを徹底的にえぐるところから始まります。

 「罪」は律法への違反を、「咎」はゆがみを意味する言葉です。神から離れた人間は、神という的から外れ、ひねくれてゆがんだ者となってしまいました。頭から足の先まですべて、健やかなところはなく傷だらけだというのです。全体的堕落です。

 神の民が献げる熱心な礼拝、たくさんの献げ物に対して、主は、重荷でしかない、飽いた、と退けられます。聖さと不義が同居している、真の悔い改めが伴っていない礼拝だったからです。血にまみれた手を洗って清くせよ、悪い行いを取り除け、と主は言われます。

 どうすれば清くすることができるのでしょうか。そこに驚くべき神の言葉が語られます。「たとえ、お前たちの罪が緋のようでも、雪のように白くなることができる。たとえ、紅のようであっても羊の毛のようになることができる。お前たちが進んで従うなら」(18、19節)と。

 罪を洗い、清めることができるのは主キリストの血潮だけです。神に敵対し、罪人であった私たちのためにキリストは死んでくださいました。このキリストに進んで従うところに真の悔い改めがあります。

 【祈り】 主なる神よ、私たちの悔い改めが、キリストにある真の悔い改めとなりますように。

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