月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年7月29日(金)

イザヤ35章 その道は聖なる道と呼ばれる

  

そこに大路が敷かれる。
その道は聖なる道と呼ばれ
汚れた者がその道を通ることはない。
主御自身がその民に先だって歩まれ
…。(イザヤ35:8)

 神の裁きと呪いが宣告されるならば、いかに繁栄する国々といえども廃墟となると34章は語ります。35章では、今度はどんなに国民が砂漠や荒れ野となり果てても、神の祝福をいただくならば、エデンの園のような豊かで麗しい地に変わると語られます。かつてイザヤに「民の心をかたくなにせよ」(6章10節)と命じられた神ご自身が、神の民を贖うために「来られる」からです。

 「そのとき」何が起こるのでしょうか。荒れ地に川が流れ、砂漠に花は咲き、見えない人の目が開き、聞こえない人の耳が開き、歩けなかった人が鹿のように踊り上がり、口の利けなかった人が喜び歌うというのです。自然界も変貌を遂げ、人は癒され、終末的な神の栄光と恵みの支配のうちに神の救いは完成します。

 そこに敷かれる聖なる道は、神を認め、畏れ、感謝し、敬う者だけが通ることのできる道です。この特権は、彼らの正しさのゆえではなく、ご自身の契約を忠実に守られる神の一方的な恩恵による贖いによるものなのです。

 この大路のゴールは、シオンで神と相まみえ、神を礼拝することにあります。私たちは主の日の礼拝において、この恵みに主イエスのゆえにあずかる者とされているのです。

 【祈り】 主なる神よ。主イエスが開いてくださった聖なる道を感謝しつつ、歩み続ける者とならせてください。

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