ウエストミンスター小教理問答の学び 第57〜62問

第57〜62問 第四戒

問57: 第四戒は、どれですか。
答:   第四戒はこれです。
 「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門の内にいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」。

問58: 第四戒では、何が求められていますか。
答:   第四戒が求めている事は、神が御言葉において、はっきりと七日のうち丸一日をご自身のための聖安息日にすると指定されたとおりに、その定めの時を神に対してきよく守ることです。

問59: 七日のうちのどの日を、神は週ごとの安息日と指定されましたか。
答:   神は、世の初めからキリストの復活までは、週の第七日を週ごとの安息日と指定されました。そして、キリストの復活からは、週の第一日を世の終わりまで続けるように指定されました。これがキリスト教安息日です。

問60: 安息日は、どのように聖別すべきですか。
答:   安息日は、次のようにして聖別すべきです。その日は終日きよく休むこと。他の日なら正当な世俗の職や娯楽さえもやめること。すべての時間を公私の神礼拝を守るのに費やすこと。ただし、必要やむを得ない業とあわれみの業にとられる時間は別です。

問61: 第四戒では、何が禁じられていますか。
答:   第四戒が禁じている事は、求められている義務を怠るか不注意に果たすこと、この日を、怠惰により・それ自体罪あることを犯すことにより・または私たちの世俗の職や娯楽を必要もなく思い語り行うことによって、汚すことです。

問62: 第四戒に加えられている理由は、何ですか。
答:   第四戒に加えられている理由は、神が週の六日を私たち自身の職のために使わせてくださること、神が第七日には特別の所有権を主張されること、神御自身が模範を示されたこと、神が安息日を祝福しておられることです。


第四戒が指し示している真理


 小教理問答書は、日曜日がキリスト教安息日であるとの理解に基づき、第四戒解説(問57〜62)で日曜日の過ごし方を具体的に教えています。私は、新約時代には第四戒を文字通りに守ることは求められていないと思います。そのことは次回に書くことにしますが、そのように理解した場合でも、第四戒は次のような大切な真理を示していると思います。
(1) 週に一度、この世の働きを離れて神礼拝に当てることが、人間本来の生きるリズムに適っています。人であることの喜びは労働やこの世のことで尽きるものではありません。この世にしっかりと根差しつつ、しかも永遠の神と交わる喜び(神に愛され神を愛する喜び)を味わうことがなければ、人生の空しさを乗り越えることができません。日曜ごとに礼拝を守る生活は人として適切なリズムであり、魂が活性化する生活です。

(2) 人は最終的には自分の働きによって立つ存在ではなく、罪を赦して下さり、あるがままの私を受け入れて下さる神の恵みの評価によって、立つ存在です。それでこそ、老後に至るまで、人生は味わい深く、神への讃美は尽きません。第四戒は、自分の働きをやめて主の前にあることで満ち足りるようにという、主の求めを現わしています。

(3) 弱者(しもべやはしため)にも命じられる休息は、あるべき社会正義を示すものです。

安息日と日曜礼拝


 第四戒は土曜日を聖なる日として、神に献げるよう命じていますが、教会はキリストの復活を記念して、日曜日に礼拝をしています。小教理は、日曜日がキリスト教安息日であるとして(問59)、第四戒を解説しています。
 私はこの理解は無理だと思います。
(1) 日曜が休日ではない新約聖書時代の信徒は、日曜に働き、残りの時間に礼拝をしました(1コリント11:20,21参照)。日曜日が安息日として守られたことを示す御言葉はありません。

(2) 十戒は正確には「道徳律法の要約」ではなく、旧約の神の民イスラエルの基本法です。神の民の基本法として、普遍的な道徳律法が中心ですが、それと同一ではありません。第四戒は旧約の民に、キリストにあって完成する永遠の安息を指し示すものであり、「やがて来るものの影」(コロサイ2:17)だったのです。
 日曜礼拝は、道徳としてよりも、復活の主を仰ぐ喜びに促されて守るものだと思います。

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