聖書を開こう 2021年7月15日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  計画の取り消しを願うエステル(エステル8:3-8)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 法律がコロコロ変わると法律への信頼性が失われてしまいます。しかし、一度定められたものを変えることができないとなると、社会が硬直化してしまいます。まして、悪法さえも変えることができないとなれば、社会が崩壊してしまいます。

 現代では一定の条件のもとに法律を改正したり撤廃したりすることができるようになっていますが、古代ペルシア帝国では、王の名によって発布された法律は変えることができませんでした(エステル8:8、ダニエル6:9)。

 今日取り上げようとする場面には、このペルシアの制度が深く関わっています。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 エステル記8章3節〜8節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 エステルは、再び王の前に申し出て、その足もとにひれ伏し、涙を流し、憐れみを乞い、アガグ人ハマンの悪事、すなわち、ユダヤ人に対して彼がたくらんだことを無効にしていただくことを願った。王が金の笏を差し伸べたので、エステルは身を起こし、王の前に立って、言った。「もしお心に適い、特別の御配慮をいただき、また王にも適切なことと思われ、私にも御目をかけていただけますなら、アガグ人ハメダタの子ハマンの考え出した文書の取り消しを書かせていただきとうございます。ハマンは国中のユダヤ人を皆殺しにしようとしてあの文書を作りました。私は自分の民族にふりかかる不幸を見るに忍びず、また同族の滅亡を見るに忍びないのでございます。」そこでクセルクセス王は王妃エステルとユダヤ人モルデカイに言った。「わたしはハマンの家をエステルに与え、ハマンを木につるした。ハマンがユダヤ人を滅ぼそうとしたからにほかならない。お前たちはよいと思うことをユダヤ人のために王の名によって書き記し、王の指輪で印を押すがよい。王の名によって書き記され、王の指輪で印を押された文書は、取り消すことができない。」

 前回の学びでは、ユダヤ民族を根絶しようとしたハマンの悪だくみが王に知れるところとなり、ハマンが自分で用意した巨大な柱に吊るされて処刑される場面を取り上げました。王妃エステルはこのハマンの悪事を王に告げ知らせるために、周到な準備をしてきました。もちろん、王妃エステルが王に告げたことは、ハマンの悪だくみのことだけであって、ハマンを処刑することを王に進言したわけではありませんでした。それを王に進言したのは、宦官の一人、ハルボナでした。しかも、ハルボナにそのことを思いつかせた原因は、ハマン自身がモルデカイを処刑するために立てた柱でした。まさに、ハマンの身から出た錆であり、自分の蒔いた種を刈り取る結果になったということでした。

 考えてもみれば、ハマンを弁護する者がひとりもいないというのは、寂しい限りです。王の怒りを前に、あえてハマンを弁護する勇気など誰にもないのはもっともなことだったかもしれません。しかし、それよりも前に、ハマンの妻も友人たちも、ハマンの没落を言い当てていました。

 「モルデカイはユダヤ人の血筋の者で、その前で落ち目になりだしたら、あなたにはもう勝ち目はなく、あなたはその前でただ落ちぶれるだけです。」(エステル6:13)

 この時点で、すでにハマンを支持しようとする者が身近にいなかったのですから、ハマンの悪事が明らかとなった時点では、ハマンを弁護する者がいないのも無理はありません。ひょっとしたら、ハマンがユダヤ人根絶の命令を王の名によって発布する計画を立てたときに、周りの者たちはあきれ果てて、ハマンから心が離れていたのかも知れません。そうだとすると、ハマンは哀れな裸の王様に等しいといえるかもしれません。

 しかし、ハマンの悪だくみが王に知れるところとなって、ハマンは処刑されてしまいましたが、それで万事が解決したわけではありませんでした。ハマンが王の名によって書いたユダヤ人根絶の勅令は、ハマンが処刑された後も、依然として有効でした。

 エステルの真の願いは、ハマンが処刑されることではなく、ハマンが計画したユダヤ人根絶の命令が差し止められ、覆されることです。そうでなければ、ユダヤ人の安全は保証されません。

 そこでエステルは再び王の前に進み出て、ハマンがたくらんだことを無効にしていただくことを願います。エステルの態度は、前にも増して慎重です。王の足もとにひれ伏し、涙を流し、憐み乞いながら、願いを打ち明けます。エステルは自分の願いは当然かなえられるべきだ、という態度を見せません。王の憐みだけが事態を変えることができると期待する態度です。

 エステルが願いを述べる言葉も慎重です。エステルは、ハマンの計画が王の名よって王の勅令として発布されたことには触れません。あくまでも、ハマンが自分で考え、ハマンが書かせた計画であることを強調します。言い方によっては、王を非難しかねないことにならないように、エステルは言葉を選んでいます。

 「アガグ人ハメダタの子ハマンの考え出した文書の取り消しを書かせていただきとうございます。ハマンは国中のユダヤ人を皆殺しにしようとしてあの文書を作りました。」

 このエステルの言葉に促されて、クセルクセス王は、「ほかならぬハマンがユダヤ人を滅ぼそうとしたのであり、それゆえに処刑されたのだ」と断言します。そして、今後のことをユダヤ人の益となるよう取り計らうようにと、その権限をエステルとモルデカイに委ねました。すでにハマンから取り上げた王の指輪はモルデカイに渡されていましたから(エステル8:2)、その指輪をもって証印されたことは、変更することができない王の命令となることができました。

 しかし前にも話しましたが、変更することができないのは、ハマンがすでに王の名によって発布した勅令も同様でした。単純に先の法令を無効とするという勅令を出すことはできません。いったいこの危機的な状況をどう乗り切ることができるのでしょうか。

 ここには知恵が求められています。何よりも王の尊厳と名誉が守られなくてはなりません。ハマンのように個人的な恨みを王の名を語って晴らすようなことがあってはなりません。また、それは先の勅令を否定したり覆すだけの法令でもいけません。そうであるなら、王の尊厳は保たれません。

 そうです。残されている道は、自衛の道しかありません。自分たちの命を自分たちで守ることができるように、王の勅令を出していただくことがもっとも賢明な道です。すでに王の印鑑は託されているのですから、それを言葉にまとめて発布するだけです。

 どんな言葉で王の勅令を発布するのでしょうか。それは来週のお楽しみということで、きょうはここまでとさせていただきます。

 それにしても、『エステル記』には神の名前が一度も登場しませんので、ただの知恵比べのようにこの個所を読んではいけません。このようなことの背後に神の御手が働いていることを信仰の目をもって読み取るところに、『エステル記』を読む醍醐味があります。神への信仰こそがエステルを希望へと押し出している力なのです。

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