あさのことば 2023年8月22日(火)放送    あさのことば宛のメールはこちらのフォームから送信ください

長田詠喜(新所沢教会牧師)

長田詠喜(新所沢教会牧師)

メッセージ: 耳が痛い言葉



 おはようございます。ご機嫌いかがでしょうか。新所沢教会の牧師、長田です。
 今週は、礼拝でする説教について、知っていただこうと思っています。

 昨日は、説教とはわかるようにお話する、と申しました。けれども、説教で語られる聖書は、なかなか分かるもの、納得できるものではありません。というのも、聖書は、神様が私たちに対して、自分中心ではなく、人と神様を大切にするように教えています。ところが、私たちは、皆多かれ少なかれ自分中心です。聖書が教えているように生きるのは、そもそも、人間自身の力では不可能なのです。

 ですから、私たちは、礼拝で聖書の説教を聞いた時に、その内容が心に響けば響くほど、それまでの自分がどれほど自分中心だったかを思い知るのです。そしてそれは、自分では認めたくないことです。できれば聞きたくない、理解したくない、受け入れたくない、「耳が痛い」言葉なのです。

 説教を聞いて、すぐに納得できなくても当然です。それは、私たちができないことを語っています。そこで私たちは、自分自身を問われ、反省して、神様のところに戻るのです。聖書の言葉に耳を傾け、謙遜になって参りましょう。

 聖書を読みます。「各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることができないでしょう。」(ガラテヤ6:4)

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