キリストへの時間 2023年8月20日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

坂尾連太郎(南与力町教会牧師)

坂尾連太郎(南与力町教会牧師)

メッセージ: 人に仕えて平和をつくる

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。南与力町教会牧師の坂尾連太郎です。
 今月は、「平和」というテーマについて、御言葉から学んでいます。

 主イエス・キリストは、山上の説教の中で、次のように語られました。マタイによる福音書5章9節です。「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」ここで、「平和を実現する人々」と訳されている言葉はもともと、「平和をつくる人々」という意味があります。平和のない所に平和をつくり出していく、そういう人々が幸いである。なぜなら、そのような者たちこそ、神の子と呼ばれるからだ。このようにイエス様は、福音を語られました。平和をつくり出していくことこそ、イエスの弟子たち、すなわち、神の子らに与えられた使命なのです。

 では、いかにして平和をつくり出していくことができるのでしょうか。現在、日本の政治家は、平和と安全のために軍事力を増強し、防衛費を大幅に増やそうとしています。アジアの近隣諸国との緊張関係が高まっていることを理由に、平和と安全を守るためには、防衛力を強化しなければならないと考え、主張しているわけです。これは一見、理にかなっているように思われます。しかし、軍事力を強化することによって、本当に平和が実現するのでしょうか。むしろ、その行為が、他の国からは軍事的な脅威と映り、より一層緊張を高めてしまう。そして、軍事力拡大の競争をエスカレートさせてしまうという面があるのではないでしょうか。

 イエス・キリストが「平和をつくる人々は、幸いである」と語られた時、それは決して、軍事力や武器によって「平和をつくる」という意味ではなかったはずです。イエス様が敵に捕らえられた時、弟子の一人が剣を抜いて、応戦しました。しかし、イエス様は、その弟子に言われたのです。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる。」(マタイ26:52)と。私たちは、剣を取ることによって平和をつくり出すことはできません。むしろ、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」と警告されているのです。

 では、私たちはいかにして、平和をつくり出していくことができるのでしょうか。その際、私たちが模範とすべきは、何よりも、神の独り子イエス・キリストご自身です。キリストは、平和をつくり出すために、武器を取ることはなさいませんでした。キリストがエルサレムに入場される際、軍馬ではなく、小さなろばに乗られたことは、その象徴です(マタイ21:1-11参照)。キリストは、軍事力によって敵を打ち負かすことはされませんでした。むしろ、敵の手に引き渡され、十字架につけられ、殺されてしまったのです。しかし、それは実は、私たちに仕えるためであり、私たちを救い、平和を与えるためだったのです。

 イエス様は、マタイによる福音書20章25節から28節で、次のように弟子たちに語られました。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」

 キリストが平和をつくり出す方法は、この世の支配者たちとは違っていました。この世の支配者たちのように、力と権力を振るうことによって、平和をつくり出そうとはされませんでした。そうではなく、むしろ「仕えることによって」、多くの人のための身代金、贖いの代価として、ご自分の命をささげることによって、平和をつくり出してくださいました。

 私たちも、このキリストに続いて、キリストに倣って、平和をつくり出していくよう召されているのです。力や武器によるのではなく、むしろへりくだって、人に仕えることによって、平和をつくっていく。イエス様のように、自分を犠牲してさえも、人を愛し、仕えることによって、平和をつくり出していく。そのような生き方へと、イエス様は私たちを招いておられます。そしてそのようにして、平和をつくる人々こそ、神様から「わたしの子どもたち」と呼んでいただける幸いなものなのです。



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