聖書を開こう 2023年11月16日(木)放送     聖書を開こう宛のメールはこちらのフォームから送信ください

山下 正雄(ラジオ牧師)

山下 正雄(ラジオ牧師)

メッセージ:  誠実な神に仕える選択(ヨシュア24:14-18)



 ご機嫌いかがですか。日本キリスト改革派教会がお送りする「聖書を開こう」の時間です。今週もご一緒に聖書のみことばを味わいましょう。この時間は、日本キリスト改革派教会牧師の山下正雄が担当いたします。どうぞよろしくお願いします。

 生きていく上で自分の道を選ぶこと、これを避けて通ることはできません。人生はある意味で選択の連続です。そして、後になって自分の下した選択を後悔することもあるかもしれません。そうであるからこそ、自分の道を選び取るときには、慎重さが大切であるとともに、将来を見通す知恵も大切です。

 その将来を見通す知恵は、先人たちの過去の歴史からその多くを学ぶことができます。そういう意味で、聖書には様々な学ぶべき知恵が記されています。イスラエル民族の信仰の歴史は、信仰に生きる今のわたしたちにとって多くの示唆ある教訓を語っています。

 きょうこれから取り上げる個所には、年老いたヨシュアがイスラエルの民を前に、重要な選択を迫っています。

 それでは早速きょうの聖書の個所をお読みしましょう。きょうの聖書の個所は旧約聖書 ヨシュア記24章14節〜18節までです。新共同訳聖書でお読みいたします。

 あなたたちはだから、主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕え、あなたたちの先祖が川の向こう側やエジプトで仕えていた神々を除き去って、主に仕えなさい。もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい。ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」民は答えた。「主を捨てて、ほかの神々に仕えることなど、するはずがありません。わたしたちの神、主は、わたしたちとわたしたちの先祖を、奴隷にされていたエジプトの国から導き上り、わたしたちの目の前で数々の大きな奇跡を行い、わたしたちの行く先々で、またわたしたちが通って来たすべての民の中で、わたしたちを守ってくださった方です。主はまた、この土地に住んでいたアモリ人をはじめ、すべての民をわたしたちのために追い払ってくださいました。わたしたちも主に仕えます。この方こそ、わたしたちの神です。」

 モーセの後継者として立てられたヨシュアは、イスラエルの民を率いてヨルダン川を渡り、約束の地カナンへと民を導き入れました。モーセから命じられて他の人々ともにカナンの地を前もって偵察したとき、ヨシュアは40歳でした(民数記13:1-14:9, ヨシュア記14:7)。しかし、今はもう年老いた姿で民の前に立っています。

 この地上での生涯が間もなく終わろうとしているヨシュアは、イスラエルの民を集めて選ぶべき選択について重要な話を語ります。その話はヨシュア記23章と24章に記されています。

 モーセの後を引き継いで民を指導してきたヨシュアの働きも、やがては次の世代へと受け継がれていきます。これは限りある人間にとって避けて通りことはできません。ヨシュアの時代には、まだカンナへの定住は完璧なものではありませんでした。しかし、それはヨシュアにとって、たとえ自分が地上での生涯を今ここで終えたとしても見通しのないものでは決してありませんでした。

 ヨシュア記の23章では、今まで主が共にいて自分たちを導いてくださった恵みが回顧されています。ヨシュアはこの神の恵みに民を委ね、この神の恵みに信頼して歩み続けることが、何よりも重要であることを熱く民に語り聞かせています。ヨシュアは民に言います。

 「だから、右にも左にもそれることなく、モーセの教えの書に書かれていることをことごとく忠実に守りなさい。」(ヨシュア23:6)「だから、あなたたちも心を込めて、あなたたちの神、主を愛しなさい。」(ヨシュア23:11)。

 それと同時に、ヨシュア記の23章では、警告の言葉も厳しく語られています。もし、イスラエルの民が神の恵みを頼りとせず、自分の道を歩むときに、どんな災いが待ち受けているのかを率直に語ります。これは40年にわたる荒れ野での旅の中で、ヨシュア自身が経験し、目の当たりに見てきたことが背景にあります。実際、出エジプトを体験した世代の中で、約束の地に入ることができたのは、最後まで主の恵みに信頼して歩み通したヨシュアとカレブの二人だけだったからです。だからこそ、ヨシュアの言葉には重みと説得力があります。

 けれども、ヨシュアはその熱い思いを決してイスラエルの民に押し付けようとはしません。続くヨシュア記の24章で、民を前にして、一人ひとりに人生の選択を迫ります。しかし、その前にまたアブラハムにさかのぼって、神と共に歩んできた民族の歴史を振り返って、民たちに神の恵みを語り聞かせます。そのうえで、ヨシュアは民に問いかけます。

 「もし主に仕えたくないというならば、川の向こう側にいたあなたたちの先祖が仕えていた神々でも、あるいは今、あなたたちが住んでいる土地のアモリ人の神々でも、仕えたいと思うものを、今日、自分で選びなさい」(ヨシュア記24:15)。

 それと同時にヨシュアは自分の下した選択をはっきりと民の前で宣言します。

 「ただし、わたしとわたしの家は主に仕えます。」

 これらのことから、わたしたちもまた人生の選択にとって重要な事柄を学ぶことができると思います。

 第一に神の恵みを数えるということです。その恵みは、自分自身が体験した恵みもそうですが、まずは、聖書に語られている神の恵みに目を向けることが大切です。神が導いてくださる救いの歴史は、まさに神の恵みに満ち溢れているからです。

 自分に与えられた恵みを数えるときには、細心の注意が必要です。なぜなら、人間というのはネガティブなことはいつまでも記憶に残りますが、良い想い出というのは意外と忘れ去られがちだからです。特に小さな良いことは、見逃されがちです。小さな恵みの連続に気が付くことができる人は、人生の選択を誤ることは少ないでしょう。たとえ選択を誤ったとしても、またそこで神の恵みを見出だして新しい選択に踏み出すことができるでしょう。

 正しい選択にとって大切な第二の点は、主なる神に対する畏れの念です。ヨシュアは民に向かって言いました。

 「主を畏れ、真心を込め真実をもって彼に仕えよ」(ヨシュア24:14)

 この場合の畏れとは、恐怖心ではありません。神を畏れ敬う思いです。神を畏れ敬う思いに対立する心のあり方は、自分を最上位に置く傲慢な思いです。神を畏れ敬う思いのない選択は、どこかで必ず行き詰ってしまうからです。

 こうして主である聖書の神に従う道を選び取るときに、人生を堅実に歩むことができるのです。

Copyright (C) 2023 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.