月刊誌リジョイス 聖書日課 2024年7月 9日(火)

エレミヤ8章 主なる神が与えてくださった

  

彼らを集めようとしたが…
ぶどうの木にぶどうはなく
いちじくの木にいちじくはない。
葉はしおれ、わたしが与えたものは
彼らから失われていた。(エレミヤ8:13)

 「ぶどうの木にぶどうはなく、いちじくの木にいちじくはない」。これは、神の民イスラエルが失われていたということです。主なる神は、「わたしはあなたを、甘いぶどうを実らせる確かな種として植えたのに、どうして、わたしに背いて、悪い野ぶどうに変わり果てたのか」と嘆いておられます(2章21節)。

 当時、イスラエルの民は、バアルやアシェラがぶどうやいちじくなど農作物の豊作を与えると考えて、まことの神に背いて偶像崇拝をしていました。主なる神は、それらすべては造り主であるまことの神がお与えになるものだと示して、御自分の御前に立ち帰るように求めておられます。

 私たちのすべては主なる神から与えられたものです。自分が努力して得たのでも、運が良くて、あるいは偶然に得られたというのでもありません。神が摂理の御手により、垣を巡らせて私たちを保護しておられるから(イザ5章5節)、私たちの歩みと日常が平穏に守られているのです。

 私たちは、コロナ禍を経験する中で、当たり前に思っていた日常がどれだけ貴重なものだったのかを知りました。それは、主なる神が御自身の御手で私たちを守ってくださっているのです。この神の御前に立ち帰るところに信仰者の幸いがあります。

 【祈り】 日常のすべてが神から与えられ、神の御手によって守られている幸いを感謝いたします。

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