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マタイ27章27-56節
「神に見捨てられた救い主」


3時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」
(マタイ 27章46節)

 十字架の下には神に見捨てられて当然の人びとがいました。神の独り子を嘲り、命を捨てるほどの尊い愛を笑いものにする人びとです。そして十字架の上には、最後まで「わが神よ!」と神への信頼を貫き通された主イエスがおられました。テレビドラマなどでこういう理不尽な物語を見たなら、「こんな憎たらしい輩は早く痛い目に遭えばいいのに!」と思うのではないでしょうか。そして、そういう輩が成敗されるときに、私たちは爽快感を覚えるのです。

 けれども、この十字架のもとでは、そういうことは一切起こりません。むしろ理不尽な仕方で全く汚れのないお方が裁かれ、憎たらしい輩が有頂天になっています。

 十字架の恵みは、まさにこの理不尽な出来事の中にこそ鮮やかに表れています。私たちも十字架の下で神の独り子を嘲る一人にほかならなかったからです。この一見理不尽に思える十字架がなければ、私たちの救いはあり得ませんでした。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という主イエスの叫びは、本来私たちが叫ばなければならない絶望の叫びでした。けれども、十字架のイエス・キリストを信じる私たちは、この神の驚くべき恵みにあずかることができるのです。

 

 【祈り】

 主イエスの十字架上の絶望の叫びは、本来私たちが叫ぶべき絶望の叫びであったことを感謝します。

吉田 謙(千里摂理教会)

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