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民数記31-33章
「神が歩みを導かれる」


イスラエルの人々はラメセスを出発して、スコトに宿営し、スコトを出発して、荒れ野の端にあるエタムに宿営した。
(民数記 33章5節~6節)

 エジプトを出て以来、モーセは旅して来た地点を順番に書き留めていました。その全行程が33章に記されています。その記述は、どこを出発し、どこに宿営した、という言葉がひたすら繰り返されて、一見しただけでは無味乾燥に思えます。しかも荒れ野という言葉が繰り返し出てきます。イスラエルの民は、荒れ野から新たな荒れ野へ、まるで迷路の中を彷徨っていたかのようです。

 モーセはこれまでの旅程を振り返ったとき、多くの困難、民の間のいざこざや不信仰、そして自分自身の失敗を思い出したことでしょう。けれども、それらをはるかに凌駕する神の愛と忍耐と御守りに圧倒されたのではないでしょうか。40年もの荒れ野の旅は、無意味なまわり道でも、ただ神の罰として耐えるだけの期間でもありませんでした。いつも神が共にいて、その歩みを守り導き、また信仰を養ってくださっていたのです。

 私たちの人生も同じです。振り返ってみれば、さまざまな困難や自分自身の弱さにもかかわらず、いつも神が共にいてくださったことに思い至ります。たとえ荒れ野であっても、神に導かれた歩みが一人一人にあります。

 

 【祈り】

 荒れ野を一人彷徨っているように感じられるとき、共にいて導いてくださるあなたに目を留めさせてください。

常石 召一(大阪教会)

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