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2コリント1-2章
「苦しみを共に慰めをも共に寄り添って」


キリストの苦しみが満ちあふれてわたしたちにも及んでいるのと同じように、わたしたちの受ける慰めもキリストによって満ちあふれているからです。
(2コリント 1章5節)

 リントの信徒への手紙二では、先に送った手紙によって、教会の人びとを「悲しませ」てしまったことについて(7章8節参照)、パウロが弁明しようとしています。不安や心苦しさを率直に語りつつ、「慰め」という言葉が印象深く用いられています。

 「慰め」は、原語では、「傍らに」と「呼ぶ」という二つの言葉で成り立っています。自分のところに誰かを呼ぶ、あるいは自分が誰かのところに呼ばれて寄り添う姿がイメージされます。

 慰めを必要とするとき、それはどのようなときでしょうか。悲しい気持ちでいるとき、辛い経験をしたとき、悩み苦しむとき。さまざまな形で襲ってくる苦難…。パウロもそうだったように、私たちにも苦難があります。辛いときにはやはり誰か近くにいてほしい。そもそも、なぜ私たちには苦しみがあるのか。原因を探ろうとすると余計に苦しくなったり、結局よく分からなかったりしてしまいます。

 しかし、パウロが語るのは、私たちの苦しみは、キリストの苦しみと無関係ではないということです。キリストが傍らにおられ、寄り添って共に苦しんでくださる。これが慰めです。

 

 【祈り】

 苦難の中にあるわたしを慰めてください。わたしが気付かないときも、神が共にいてくださることを感謝します。

古澤 純人(徳島教会)

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