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詩編77編
「わたしは弱くされて強められる」


わたしは言います。
「いと高き神の右の御手は変わり
わたしは弱くされてしまった。」
(詩編 77編11節)

 苦難は、誰の人生にもつきものです。しかし、詩人は、ひとりの信仰者また神の民としての苦難にあえいでいるのです。

 信仰者は、苦しみの中で祈ることを知っています。いつものように神に叫びます。彼は、中途半端な慰めでは決して満足しません。神の応答を待つ忍耐を弁えています。すばらしいことです。

 しかし、眠れぬ日々の中でついにうめき、つぶやきます。「もう分からない。神さまのせいでこんなに弱くされてしまった!」(11節)。

 ところが、詩人はそこでなお特別の体験に頼ろうとはしません。いつもの方法で乗り越えていきます。それは、神が歴史においてなされた右の手を思いめぐらすこと。つまり、聖書の救いの物語を黙想することによってです。

 こうして、神なくして生きられない弱さをむしろ感謝していくのです。いかなる苦難の中でも神の救いの約束は不変だからです。神に弱くされるほどに、強くされるのが信仰の歩みです。真の希望はそこから生まれます。

 

 【祈り】

 主よ、あなたは試練の中で弱くし、恵みの手段によって深い信頼を教え、強め、立ち上がらせてくださいます。祈り抜くことを教えてください。

相馬 伸郎(名古屋岩の上教会)

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