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イザヤ66章
「異邦人を清い器として用いられる主」


更にわたしの名声を聞いたことも、わたしの栄光を見たこともない、遠い島々に遣わす。彼らはわたしの栄光を国々に伝える。
(イザヤ 66章19節)

 これまでイザヤ書の中で、主なる神が地の果てからご自身の民を集められることは幾度も語られてきました。しかし、最後の章では、これまでとは全く異なる次元での異邦人の救いと働きが語られます。主の栄光を国々に伝えるために遠い島々に遣わされるだけでなく、ユダヤ人を主への献げものとして聖なるエルサレムに連れ帰ることが起こるのです。

 それだけではありません。遣わされた異邦人が「清い器」として用いられ、主なる神が異邦人の中から「祭司やレビ人を立てる」ときが来る(20、21節)と語られます。すべてのキリスト者が大祭司であるキリストの祭司職の働きにあずかるという万人祭司の教えの先取りと言える預言です。

 その目的は、主の「栄光を国々に伝える」(19節)ためです。旧約聖書において、異邦人の受ける栄誉を最も高く明確に預言しているところです(18~23節)。聖書において啓示されている宗教は、選民と異邦人との区別を取り除く普遍的宗教であることが、すでにここに明確に示されています。

 かつては汚れた器であった私たちです。それが今やキリストの恵みのゆえに「清い器」とされたのですから、「すべての肉なる者」(23節)の一人として、主の栄光を伝えようではありませんか。

 

 【祈り】

 神よ、このわたしを主の器として、あなたのご用にお用いください。

漆崎 英之(金沢伝道所)

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