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イザヤ42章
「そのままに彼はわたしを受け止める」


彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。
傷ついた葦を折ることなく
暗くなってゆく灯心を消すことなく
裁きを導き出して、確かなものとする。
(イザヤ 42章2節~3節 )

 神から遣わされた僕は叫びをあげません。この人は自分が顧みられることを求めず、静かに神を指し示します。なぜでしょうか。不当な裁きを受けているにもかかわらず。

 彼は強く自己主張をしません。自分が立つよりも、弱くされている者を立ち上がらせることを願うからです。もちろん、弱くされている人を立ち上がらせるには力が必要です。ですから、彼は無力ではありません。ただ自分の力を、自分のためには使おうとされません。

 私たちは誰もが傷ついた葦のように弱さを抱えています。心に光を失っています。ろうそくのように、自分を使い果たしています。自分の働きが正しく評価されているだろうかと、思い悩んでいます。

 彼はそんなわたしに寄り添ってくださいます。誤りもあるわたしの働きを、憐れみをもって受け止めてくださいます。人は理解してくれず、評価してもくれないでしょう。しかし彼は違います。わたしの弱った心を支えて、力を与えてくださる。あなたの労苦を知っているよと、言ってくださる。この方自身が傷つけられ、深い悲しみを知っておられるからです。

 彼が導き出す裁きは、わたしを義とする裁きです。こうしてわたしは、彼の前で息をつくことができます。わたしは赦されているからです。

 

 【祈り】

 憐れみの主よ、あなたがわたしを知ってくださることを感謝します。

後登 雅博(高蔵寺教会)

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