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1ヨハネ3章
「わたしたちが神の子と呼ばれる確かさ」


御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。
(1ヨハネ 3章1節)

 「わたしたちが神の子と呼ばれる」とは、何とおどろくべきことでしょうか。このことは私たちが神を愛したからではありません。神が私たちを愛してくださったからです(4章10節)。

 それでは、これからのことはどうなのでしょうか。「今既に神の子」(2節)と言われていることは確かなのですが、どのようになるかはまだ示されていないと語られています。確かに私たちは皆、自らの将来について多くのことを知ることはできません。しかし、はっきりしていることがあります。それは、「御子が現れるとき、御子に似た者となるということ」です。

 「御子に似た者となる」とは同じ者になるということです。主イエスは今、栄光の姿で父なる神の右に座しておられます。私たちはその主イエスが再び来られる日に、「顔と顔とを合わせて」お会いします。そのとき、私たちは御子と似た者、同じ者としていただけます。それは全くの恵み、御子イエスの救いの御業によるものです。

 今、私たちはその途上にありますが、導かれることは、はっきりと見せていただいています。それこそが神の子と呼ばれている者の確かさです。

 

 【祈り】

 私たちを「神の子」と呼んでくださり、感謝します。そこにあなたの愛をいただき、ありがとうございます。

風間 義信(仙台教会)

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