キリストへの時間 2021年5月2日(日)放送

久保浩文(松山教会牧師)

久保浩文(松山教会牧師)

メッセージ: 真の人生の勝利者とは

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。松山教会の久保浩文です。
 今年も5月を迎えました。昨年より流行した新型コロナウイルスの世界的規模における感染拡大によって、私たちの生活は激変しました。ごく普通の日常生活だけでなく、職場での働き方、学校における授業まで、これまでとは全く異なる環境に置かれています。テレワーク、リモートによる会議や授業に戸惑いを感じ、ストレスを抱えておられる方もおられることでしょう。

 しかしどのような環境におかれても、私たちは変わることなく、人との関わり、繋がりの中で生きています。そして働くことや学ぶことの意味も、人生の目指すべきところも、根本は何も変わっていないのではないでしょうか。そこで今朝は、人生の本当の意味を見いだした一人の人のお話をしたいと思います。

 新約聖書にパウロという人が出てきます。彼は、ユダヤ教の中でも特に律法の教えを厳格に守ることで知られる、ファリサイ派というグループに属していました。由緒あるユダヤ人の家柄に生まれ育ち、当時としては最高の律法学者であったガマリエルという人のもとで最高の教育を受けました。彼は当時の誰もが羨むような経歴と学歴の持ち主であり、将来が約束されていました。

 しかしその彼に人生の転機が訪れます。パウロは当時、爆発的な勢いで増えつつあったキリスト教徒たちを神の教えに反するものと信じ、敵視し、捕らえては牢に送っていました。そしてその捜索範囲を広げようと、上司である大祭司からの書状を手に、意気揚々とダマスコという町に向かいました。その旅の途中のことです。突然彼は、天からの強い光に照らされたかと思うと、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか。」(使徒26:14)という声を聞きました。この声の主こそ彼が迫害してきた復活の主、イエス・キリストでした。

 当時の多くの人々にとって、十字架にかけられたキリストなど愚かであり、到底信じるに値しないものでした。それは「木にかけられた者は、皆呪われている」と律法に記されているからです。しかしキリストの十字架は、私たち人間の多くの罪の身代わりとして、神の呪いを引き受けられたものでした。ですから神は、十字架に上げられ、死んで3日目に復活されたイエス・キリストをただ信じることで、私たち人間の全ての罪を赦し、神の前に義と認められるのです。これまでパウロは、律法をすべて完全に守り行えば、自らの力、努力で救われると信じ、努めてきました。キリスト教徒を迫害してきたのも、その間違った理解と熱心によるものでした。

 パウロは、復活の主イエス・キリストとの決定的な出会いによって、価値観、人生観が180度変わりました。これまで彼にとって有利であると思って大切にしてきた様々な特権と誇りが、色あせた、無価値なものとなったのです。「わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたとみなしています。」(フィリピ3:7-8)

 自分の力によるのではなく、ただキリストを信じることによって、私たちは神に祝福された意味ある人生を送ることができるのです。イエス・キリストは、この地上の全ての物の「主」であられ、私たちの人生のすべてをかけて信じて、人生を献げて生きるだけの価値のある御方です。すべての人が、キリストを信じさえすれば、人生の勝利者となることができるのです。



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