キリストへの時間 2024年1月7日(日)放送  キリストへの時間宛のメールはこちらのフォームから送信ください

石川亮(芸陽教会牧師)

石川亮(芸陽教会牧師)

メッセージ: 小さな者

【高知放送】
     

【南海放送】
     

 おはようございます。2024年、最初のキリストへの時間をお聞きくださり、ありがとうございます。高知県安芸市本町二丁目森沢病院裏手にある芸陽教会牧師、石川亮です。私は、昨年の4月に、芸陽教会に赴任してきました。

 今朝は、私が教会に通うきっかけとなったことを話したいと思います。私が洗礼を受けたのは、34歳の時です。私が生まれた家庭の中にはクリスチャンは誰もおらず、仏壇と神棚がありました。私にとってキリスト教は、別世界のものでした。そんな私が教会に通うようになったのは、30歳を過ぎてからです。私は、心に病を抱えていました。そんな時、クリスチャンであった今の妻に出会いました。

 妻との出会いが教会に通うきっかけの一つとなったのは確かですが、しかし私には、もう一つ、教会へ通う、信仰を持つきっかけがありました。それは、妻の祖母との出会いです。祖母もクリスチャンで、祖父とともに、東北地方での伝道に力を注いだ人でした。その祖母が病で危篤と聞き、私は、妻と共に、祖母が入院している仙台の病院へ向かいました。今考えると、なぜ、一度も会ったことのない祖母のもとに向かおうと思ったのかは、不思議です。

 病院に着き、祖母のベッドの横に立ちました。ベッドに横たわる祖母は、ほとんど意識のない状態でした。そんな祖母に、妻が私を紹介してくれました。孫である妻の声を聞き、そこにいた人すべてがびっくりするほどの大きな声で、祖母は、「よかったね」と言いました。その声を聞いた私は、温かい気持ちになりました。その後、私は、ただただ祖母の手を握っていました。それから数日後、祖母は、イエス様のもとへ召されました。

 この出会いの出来事を思い出す度に、私は、主イエス・キリストが言われた、「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」という、マタイ福音書10章42節にある言葉を思い起こします。これは、主イエスが、十二弟子を派遣するときの説教の最後に語った言葉です。

 小さな者とは、弟子たちのことです。また小さな者と翻訳されているギリシャ語は、「ミクロス」という言葉です。これは、物の単位を表す言葉に用いられています。この単語は、もともと大きさや長さについて、小さいことを意味する言葉でしたが、現代の長さの単位「ミクロン」の語源となっています。1ミリの1000分の1、顕微鏡を使って見える大きさです。また、「冷たい水一杯を飲ませる人は、必ずその報いを受ける」とあります。これは、ユダヤ世界や中東では、この行為は礼儀と歓待を表すものですが、しかし、決して特別なことではなく、ごく自然なことで、必ず報いを受けるものではないのです。

 この世的に見るなら、弟子たちは、人の目では見ることができない小さな者でしかありません。しかし、そのような小さな者に水を飲ませるという当然な行為をしたとしても、その人は報いを受ける。より言語に近い言葉で表すなら、報いは失われないと、主イエスは、「はっきりと言う」という真実の言葉をもって宣言しているのです。

 当初私にとって、祖母との出会いは、人生の小さな出来事の一つでしかありませんでした。しかしその後、その出会いが、主イエス・キリストと出会うという、私の人生にとって、大きな出来事のきっかけの一つとなったことに気が付きました。もしかすると、ラジオを聞くあなたも、すでに主イエスと出会うというあなたの人生にとって大きな出来事のきっかけとなる、小さな出来事があったかもしれません。

 主イエスは、あなたと出会いたいと願っています。このラジオの放送が、小さな出来事に気が付くきっかけに、また、主イエス・キリストと出会う小さなきっかけの一つとなることを心から願っています。



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