月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年10月30日(水)

申命記5章23-27節 神が語りかけてこられる

  

「我々の神、主は大いなる栄光を示されました。我々は今日、火の中から御声を聞きました。神が人に語りかけられても、人が生き続けることもあるということを、今日我々は知りました。…この大きな火が我々を焼き尽くそうとしています。これ以上、我々の神、主の御声を聞くならば、死んでしまいます。」(申命記5:24-25)

 宗教改革者たちは、ひたすらに聖書を読んだ人たちでした。当時の教会の硬直化した教えに縛られることなく、聖書を原語で読み、新鮮な福音の再発見に心を躍らせました。それを人びとに身近な言葉に訳して提供したので、誰もが神の言葉に触れることができるようになりました。あの時代、人びとは「神からの語りかけ」を聞く喜びに満たされていました。

 生ける神である主は、聖書を通して、聖霊において、私たちに語りかけてこられます。物言わぬ死んだ神である偶像とは違います。きょうの箇所にあるように、神から直接語りかけられるというのは、本来恐るべきことです。そういう恐るべき御声を、神は聖書に封じてくださり、私たちが触れることができるようにしてくださいました。

 今や私たちは、本としての聖書があまりにも身近すぎて、その恐れ(畏れ)を見失っている世代かもしれません。それゆえに、神の言葉に触れる喜びや驚きを見失っているのかもしれません。聖書を通して、きょうも神が語りかけてくださいます。「主よ、お話しください。僕は聞いております」(サム上3章10節)。

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