月刊誌リジョイス 聖書日課 2019年12月 9日(月)

エゼキエル20章 神の愛を知るとき、神の前の自分を知る

  

わたしが、先祖に与えると誓った地、イスラエルの土地に導き入れるとき、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。その所で、お前たちは自分の歩んだ道、自分を汚したすべての行いを思い起こし、自分の行ったあらゆる悪のゆえに自分を嫌悪するようになる。(エゼキエル20:42-43)

 神の民イスラエルは、エジプトからの救いを経験していながら、神が共におられることの喜びと恵みを忘れてしまいました。

 バビロンに捕囚となっている神の民の将来と、故郷エルサレムを思う、イスラエルの長老たちが、エゼキエルのもとに主の御心を求めて集まったとき、神はエゼキエルをとおして言われました。

 「わたしが、先祖に与えると誓った地、イスラエルの土地に導き入れるとき、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。その所で、お前たちは自分の歩んだ道、自分を汚したすべての行いを思い起こし、自分の行ったあらゆる悪のゆえに自分を嫌悪するようになる」と。

 光から離れたところでは、シャツに着いた小さな汚れに気付くことはありませんが、光に近づくほど、小さな汚れにも気づきます。同じように、私たちの信仰生活でも、神の愛と恵みを受けるとき、神の御前にある自分を知り、心からの罪の悔い改めへと導かれるのです。

 神が神の民を何度も赦されたように、神は何度でも、私たちを赦して、悔い改めへと導いてくださいます。

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