月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年2月 7日(日)

マルコ1章21-28節 驚きの言葉・主イエスの権威

  

人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。…人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」(マルコ1:22,27)

 正しいことが語られたとしても、人がそれに聞き従うとは限りません。「自分には関係ない」と思うからです。しかし、このとき、主イエスの教えは人びとに権威ある言葉として受け入れられました。他人事ではなく、自分への救いの宣言として受けとめられたからです。

 けれども、自分たちへの言葉として聞いたのが、その場にいた汚れた霊=サタンでした。汚れた霊はその場から出て行きます。救いの言葉としてではなく、自分たちを滅ぼす言葉として聞いたからです。

 では、どのようにして、人びとは自分への救いの言葉として、福音を聴くのでしょうか。それは聖霊の働きによります。教会で説教が語られるとき、同時に聖霊が働いてくださいます。その結果、聴く者は福音に驚かされつつ、主イエスを受け入れ、教会は神の民が集う場となります。

 私たちは、家族や親しい人たちを教会へと招き、福音に出会う機会を提供します。時として福音の驚きが大きいため、理解されないときもあります。しかし主の御言葉は、聖霊が働くことにより、驚きをもって受け入れられます。

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