月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年3月 1日(月)

ルカ15章11-20節 神に立ち帰るときにあずかる本当の自由

  

「『ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。」(ルカ15:18-20)

 主イエスは、神を父に、私たち罪人を弟息子に重ね合わせて「放蕩息子」のたとえを話されました。

 弟息子は、父から財産を相続すると、父のもとを離れて放蕩の限りを尽くします。これは、自由を求めて神から逃れた人間の姿によく似ています。しかし、神から離れたところに自由はありません。私たちが本当の意味で自由になるためには、神のもとに生きるしかありません。神との交わりにこそ、本当の自由があるからです。

 弟息子が全財産を使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こりました。彼は空腹に困り果て、食べるために働くことにしました。しかし、ありついたのは豚飼いの仕事でした。イスラエルでは豚の世話をするのは屈辱的なことでした。それでも彼は、食物を得られませんでした。

 弟息子は、惨めなどん底で我に返り、父のもとへ立ち帰り、罪を告白することを決心しました。それは彼にとって幸いなことでした。なぜなら、自分の罪を正しく認め告白するとき、人は神に立ち帰ることができるようにされるからです。それが、自由に与るための第一歩です。

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