月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年4月 4日(日)

マルコ16章2-6節 週の初めの日の朝

  

そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。…若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」(マルコ16:2,6)

 主イエスが十字架につけられて殺されたことは、多くの弟子たちの心をどん底へと落としました。落ち込んでいる女性の弟子たちは、安息日が終わると、肩を落としつつ墓へと向かいます。週の初めの日の朝、主イエスの死を悲しむ人の上にいつもと変わらぬ光が射しました。けれども、この日だけは他の日とは比べようがないほどの輝かしい日となりました。そう、主イエスが復活されたのです。

 死んだ人間が復活するとは、誰にとっても信じることが難しいことでしょう。その事実を目にして、彼女たちは、墓の穴を塞いでいた大きな石が転がしてあったことや、墓の中に白く長い衣を着た御使いが現れたことに驚きを隠せません。

 けれども、御使いは伝えるのです。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない」と。主イエスが復活して生きておられるからこそ、きょうも私たちは礼拝へと招かれています。

 週の初めの日のきょう、主イエスは私たちと出会い、輝く光で照らしてくださるのです。

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