月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年4月 6日(火)

ヨハネ20章11-18節 捜しているお方に出会う

  

イエスは言われた。「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか。」マリアは、園丁だと思って言った。…イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。(ヨハネ20:15-16)

 葬られたはずの主イエスの体が墓の中にない。せめて遺体に香油を塗って思いを馳せたいと思っていたマリアの悲しみはとても大きく、ただ墓の外で泣いていました。そこに復活された主イエスが目の前に現れてくださいました。

 けれどもマリアは、それが主イエスだと分からず、自分が泣いている理由を説明するだけでした。このとき主イエスは、「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」と問いかけました。主イエスは、マリアが何か物を無くして捜しているのではなく、「人」を捜していることを初めから見抜いておられました。さらに、最初は「婦人よ」と呼ばれたのに(15節)、二度目は「マリア」と呼びかけられました。するとマリアは、以前から親しみを込めて使っていた呼び名で「ラボニ」と主イエスを呼んだのです。

 当初、マリアの心は悲しみで閉ざされていました。けれども、全てをご存じである主イエスから名前を呼びかけられたとき、心の目が開かれ、捜していた一番大切なお方に出会えました。御言葉から主イエスの御声を聞くときに、私たちもこのお方ときょうも出会えています。

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