月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年4月 8日(木)

ルカ24章36-49節 十字架で死なれた同じ主が生きている

  

そこで、イエスは言われた。「なぜ、うろたえているのか。どうして心に疑いを起こすのか。わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。…亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。」こう言って、イエスは手と足をお見せになった。(ルカ24:38-40)

 エマオの途上で復活の主イエスと出会ったクレオパたちは、エルサレムに戻って他の弟子たちに事の次第を話しました。そこに主イエスが「平和があるように」と言って現れました。弟子たちは驚くばかり。クレオパたちの話を聞いても半信半疑の者が大勢だったことを考えると、主イエスの復活を信じるのはとても難しいのだと感じます。

 そこで主イエスは、ご自分の手足をお見せになり、さらに焼魚を食べて見せました。何とかして彼らの心の目を開き、復活を信じられるようにしようとされた主イエスの思いやりです。彼らに手足を見せ、肉と骨があるとわざわざ言われ、また魚を食べたのは、ご自分が得体のしれない存在ではなく、あなたたちのために十字架にかかったあの救い主だと示すためでした。

 主イエスの復活を信じると、主イエスが言われた「平和」が訪れます。「あなたのためなら十字架で死んでも良い」と思い、神と人との平和を取り戻してくださったお方が、互いに愛し合う平和を携えて共に生きてくださるからです。今こそ、復活の主イエスを心にお迎えしましょう。

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