月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年4月20日(火)

ヨハネ20章24-29節 我らの主

  

トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。(ヨハネ20:28)

 イエスを「主」と呼ぶのは、最も古く、最も簡潔な信仰告白の一つです。使徒信条は、「その独り子」と告白してイエスと父なる神の関係を言い表し、続いて「我らの主」と言うことでイエスと私たちとの関係を告白します。イエスは私たちの主、私たちはイエスの僕なのです。

 人は神以外のものに支配されていました。聖書の時代、「主」という言葉はローマ皇帝を指して使われていました。つまり人びとは人間の王に支配されていたのです。そして、何よりも人は罪の支配下にあり、罪の奴隷となっていました。そこにあったのは、神ではなく自分自身を主とする人間の姿でした。

 しかし、その罪人を救うために、神は独り子を与えてくださいました。主であるイエスはむしろ僕となって罪人に仕え、十字架によって罪の支配から解放してくださいました。そして、復活によって、まことの主であることを示されました。トマスは、復活されたイエスと出会い、「わたしの主、わたしの神よ」と告白しました。私たちもまた、聖霊の働きによって、「イエスは主である」と告白するのです(1コリ12章3節)。

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