月刊誌リジョイス 聖書日課 2021年4月21日(水)

マタイ1章18-25節 イエス

  

「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(マタイ1:20-21)

 使徒信条は、天地を造られた全能の父なる神への信仰告白に続いて、一人の人間イエスへの信仰を告白します。両者はあまりに不釣り合いに感じられますが、ここにキリスト教信仰の特色があります。主イエスは、他の歴史上の偉大な人物と並べられるお方ではなく、父なる神と並べられるお方なのです。

 「イエス」という名前は当時ありふれたものであったようです。しかも貧しい地ガリラヤ出身の者として、「ナザレのイエス」とも呼ばれました(マタ26章71節)。それは、主イエスは私たち貧しい罪人の間に住んでくださり、そのようにしてその名の通りの働きをしてくださったということです。「イエス」は、「主は救い」という意味であり、ヘブライ語では「ヨシュア」です。ヨシュアがイスラエルの民を約束の地に導いたように、主イエスは私たち罪人を救いへと導いてくださったのです。

 私たちも自分の名前を持つ者として自分の人生を生きていきます。ありふれた人生のようでも、その人生を主イエスと共に、主イエスの名によって祈りつつ歩んでいくとき、そこには神の恵みがあふれているのです。

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