月刊誌リジョイス 聖書日課 2022年7月30日(土)

イザヤ40章1-11節 慰めよ慰めよわたしの民を

  

慰めよ、わたしの民を慰めよと
あなたたちの神は言われる。(イザヤ40:1)

 イザヤ書40章から55章は、捕囚の民に、解放と慰め、終末的栄光について告知します。預言者は神の玉座の前に開かれた天の会議に引き入れられ、主の御使いたちの声を聴きます。

 預言者の第一声は「慰めよ、わたしの民をなぐさめよ」で始まります。絶望的な悲しみの中にある捕囚の民を慰めてくれる者が誰もいないのです。神の民が神の慰めを失ってしまったのです。神の民にとって、それは主なる神を失うことにほかなりません。

 この民に向かって神は、己が罪のための苦役の期間はもう終わるのだ。十分な罰を主から受けたからだ。その咎はもう赦されるのだと語られます。神は再び「わたしの民」と呼びかけてくださるのです。

 神の民の捕囚からの解放は、神からの慰めであると同時に、やがて来る救いの時の象徴でもあります。人は罪深く、砂漠の熱風にたちまち枯れ、しぼむ草花のようにはかない存在です。罪人は、神の吹きつける裁きの風に耐えることができません。

 真の慰めは、人からではなく、とこしえに立つ神の言葉からやってきます。「主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる」。ここに神の慰めがあるのです。

 【祈り】 主なる神よ、私たちの抱える深い傷が、真の大牧者なるイエス・キリストの中で癒されますように。

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