月刊誌リジョイス 聖書日課 2024年3月17日(日)

ヨハネ12章20-33節 御名の栄光イエスの選択によって現る

  

「今、わたしは心騒ぐ。…しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」(ヨハネ12:27-28)

 主イエスは公的宣教の最後にエルサレムに入られました。時は過越祭。ご自身が栄光を受けられる時が来たのを悟った主イエスは言われます。「今、わたしは心騒ぐ」。ここに、主イエスが心に一瞬の動揺を覚えられたことが表されています。「何と言おうか。『父よ、わたしをこの時から救ってください』と言おうか」。十字架の受難を目前にして、この道をできるなら避けて通りたいという思いが頭をよぎります。しかし、次の瞬間には、「しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください」と、ご自身に与えられた使命を全うするために、再び十字架に向き直られます。

 十字架は、人が編み出した死刑の中で最も苦しみが大きいと言われる極刑です。できるなら避けたいと願うのは当然です。しかし、主イエスは、ご自身の苦しみを避けるよりも、信じるすべての人を救いに導くための十字架の道を選択なさいました。

 ユダヤ人たちは十字架に付けられた主イエスの姿を見たとき、それは神に見捨てられた無様な人間の最期と考えました。しかし、主イエスの死は、父なる神との豊かな交わりの中に実現した、神の大いなる御業の結果です。そして神の栄光は、主イエスの死を通して現されました。

 【祈り】 御子が選ばれた十字架の道によってすべての人を救いへと導く中で現される神の栄光をほめたたえます。

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