月刊誌リジョイス 聖書日課 2024年3月31日(日)

ヨハネ20章1-9節 心の目で見るキリストのよみがえり

  

それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。(ヨハネ20:8)

 このイエス復活物語に「見る」という言葉が4回登場します。1回目の「見た」(1節)と2回目の「のぞく」(5節)は原語のギリシャ語で「肉眼で普通に見る」という意味の単語が使われています。ですから、まだ何も悟っていません。3回目のペトロが墓の中で「見た」(6節)という単語は、「注意深く見る」とか「観察する」という意味を持つ動詞です。

 ところが4回目(8節)は、ただ「見た」だけではなく、「見て」、「信じた」となっています。ここでの「見て」は、「心の目で真理を悟る」という意味の言葉が使われています。つまり、科学的に証明や論証できる証拠のような目に見えるものによって信じたのではなく、心の目で、目に見えない真理を悟ったことを意味します。

 あの復活の朝、自分はそこに主イエスの遺体がないことを墓の外から「ただ肉眼で普通に見た」が、やがて自分の心の目が開かれて、主イエスが確かに復活されたという事実を「心の目で見て真理として悟る」ことができたとヨハネは語っています。

 私たちが「キリストの復活」を信じることができるのは、この朝よみがえられた主イエスが今も生きておられ、天から聖霊を遣わして、私たちが心の目で見て真理として悟るように導いてくださるからです。

 【祈り】 きょうも生きておられる主よ、あなたの復活を確信できるよう、わたしの心の目を開き悟らせてください。

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