月刊誌リジョイス 聖書日課 2024年4月 7日(日)

ヨハネ20章19-31節 主の約束を信じて生きる幸い

  

これらのことが書かれたのは、あなたがたが、…信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。(ヨハネ20:31)

 ここに、福音書の書かれた目的が端的に表されています。それは「信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」と。「信じる」という言葉がここで重ねられています。まるで信じることのなかに、命が約束されていると伝えたいかの如くです。私たちは先週イースターを迎えましたが、19節の弟子たちのように、未だ「信じること」を見失っているかもしれません。そのことに気づかされる御言葉です。

 この箇所の前には二つの話があります。一つは、未だイエスの復活を信じておらず、「ユダヤ人を恐れて、…家の戸に鍵をかけて」主日をひっそりと過ごす弟子たちの姿から始まります。このとき、恐れと不安のなかで平和を見失っていたであろう弟子たちに対し、復活の主は「平和があるように」とおっしゃいました。また後半の話では弟子のトマスに対して主イエスが「見ないのに信じる人は、幸いである」と説かれます。

 私たちは、真の意味で今年のイースターを迎えたでしょうか。見ずして信じる幸い、平和を、そして命を生きているでしょうか。肉の目では見えない復活の主イエスを見、信じて、主にある平和を生きることへと、リフォームされたいと思います。新しくされ続けたいと願います。

 【祈り】 平和を損なう強い現実の生活から守られ、主を信じて生きる幸い、そして平和、命へと導かれますように。

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