月刊誌リジョイス 聖書日課 2024年7月10日(水)

エレミヤ9章 愛の神正義の神十字架の神

  

わたしこそ主。
この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事
その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。(エレミヤ9:23)

 主なる神は、偶像を礼拝するイスラエルの民に「剣を送って彼らを滅ぼし尽くす」と言って、裁きの言葉を告げられます(15節)。神は、御言葉に逆らうばかりのイスラエルの民に多くの預言者を遣わして、神の御前に立ち帰るよう求めておられました。しかし、民は立ち帰るどころか聞こうともせず、かえって神の言葉を伝える預言者たちを迫害し、しりぞけました。そのような彼らに、主なる神は審判の言葉を語られます。

 主なる神は愛の神ですが、正義の神でもあられます。愛と正義はどちらも神の代表的な御性質です。神は私たちを愛されますが、正義を貫いて罪を裁くお方でもあられます。ですから、主なる神は、御自分の民を愛して、彼らが悔い改めることを涙ながらに求められるのです(17節)。

 この神の愛と正義が十字架においてもっとも明確に示されました。神は独り子を与えて十字架につけるほどにこの世を愛されました。十字架には神の愛があらわされています。同時に、私たちの代わりに主イエスが罪の代価を支払ってくださり、すなわち十字架は刑罰の場所、神の正義が貫かれたところでもあります。

 愛は正義に基づくときに真の愛となり、正義は愛によって行われるときに初めて真の正義になります。

 【祈り】 神の愛と正義が十字架において示されました。正義の神を畏れ、神の愛の中に生きる者としてください。

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