リスナーからのお便り 2012年11月分

●自分が誰かに何か悪いことをした場合、相手に心から赦してもらいたいと思う気持ちになります。その悪い行為の大小に関わらず、いざ自分が他人の罪や失敗を赦すとなるとそう簡単には赦せない、複雑で難しい問題だと思う。いつまでも赦せないと思うと自分の心が晴れずに空しい、孤独感に陥り悲しくなる。イエス様がおっしゃるように相手を赦せば、自分も赦される。「赦す」という言葉で、あの十字架での苦しみの中でも、憎むべき敵でさえも罵らず、父なる神様に相手を「赦してください、彼らは自分達が何をしているか分からないから」とおっしゃられました。イエス様は私達にそれほどの大いなる深い愛を示されたのですから、私達もどんなことでもイエス様に倣い、赦しあえる人間になりたい、いいえ、なるべきだと思います。新潟県 K.S.さん

●「小さな朗読会」、いつも楽しく聞かせていただいています。また同時に、私が何回か聖書通読してきたにも関わらず知らなかった(しっかりと読んでいなかった)箇所が、毎回のように「小さな朗読会」によって示されとても感謝しています。さて、今回はプレゼントの「小さな朗読会」のCDそのものではなく、同CDのリスト(目録)を送付していただければとても嬉しいです。次回以降、プレゼントの際に同CDリストより希望するものを選べればと願っているからです。(後略) 長野県 N.Y.さん

●いつも励まされ、楽しみに聞いています。プレゼントを希望します。北海道 H.F.さん

●「神が私たちを招かれたのは、…聖なる生活をさせるためです」(1テサロニケ4:7)を読んで、はっきりと思い出すことがあります。私は、イエス様が招いて下さったから教会出席をするようになったと思えるまでには、相当の年月がかかった者です。真言宗の中にいた者にとって、聖書の学びのヤヤコシイコト!「来なかった方が良かったなぁー」とか(40歳のとき)…。そのように、「汚れた生き方ではなく」という御言葉がが私には何のことか分かりませんでした。「聖なる生活をさせよう」と神様が招いて下さったことが、今は喜びですし、感謝の中にいます。静岡県 Y.S.さん

●前回の「あさのことば」のメッセージは、障害を乗り越えて生きてゆくのにもクリスチャン信仰が大きな支えにもなっていて、(私の解釈では)多分盲人の方々にも主イエス様が力を与えてくださったと思うので、その週の一連のメッセージに大いに感動した。富山県 H.F.さん

●お元気ですか。郵便で「ほほえみトーク」、「聖書を開こう」の番組CDが無事に届きました。いつもお送りくださり本当に有難うございます。「テレフォン・メッセージあさのことば」も時々、電話で聴かせて頂いています。…みなさまの優しいお声を聞くと元気が出ます。これからもますますお元気で頑張ってください。(後略) 兵庫県 M.F.さん

 
Copyright (C) 2012 RCJ Media Ministry All Rights Reserved.