リジョイス聖書日課 2024年3月

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2024年3月の聖書日課

わたしの街のこの教会 Vol.82 北沼津キリスト教会

わたしの街のこの教会 Vol.82 北沼津キリスト教会

毎月、改革派教会を動画で紹介する企画「わたしの街のこの教会」。2024年3月は静岡県沼津市にある「北沼津キリスト教会」です

マタイ 10章

「人々を恐れてはならない。…体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。」 マタイによる福音書 10章26節~28節

人を恐れてはならない

マタイによる福音書10章には、主イエスが12人の弟子たちを選び、福音宣教へと派遣されるシーンが描かれています。その中で、主は弟子たちに「人々を恐れてはならない」と言われました。 私たちには、人前に出るとき…

詩編 46編

「力を捨てよ、知れ
わたしは神。
国々にあがめられ、この地であがめられる。」 詩編 46編11節

ヤコブの神はわたしたちの砦

宗教改革者マルティン・ルターが作詞作曲した讃美歌267番は、「神はわがやぐら、わがつよき盾」という、力強い神への賛美告白から始まります。ルターは、命がけの教会改革の苦闘の中、きょうの御言葉である詩編46編…

ヨハネ 2章13-22節

イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。3日で建て直してみせる。」 ヨハネによる福音書 2章19節

主イエスはまことの過越の小羊

過越祭が近づくと、地中海世界に離散していたユダヤ人もエルサレムの都に上り、動物の犠牲を献げました。その際、ローマ貨幣をユダヤ貨幣に両替し、犠牲に献げる動物を買うための商人がどうしても必要でした。しか…

マタイ 11章

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。」 マタイによる福音書 11章28節

疲れた者重荷を負う者へ

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」という主イエスの言葉は、礼拝のはじめの「招きの言葉」でも読まれる有名な聖書箇所です。 この主の言葉で大事な点は、「わたしの…

マタイ 12章

「善い人は、良いものを入れた倉から良いものを取り出し、悪い人は、悪いものを入れた倉から悪いものを取り出してくる。」 マタイによる福音書 12章35節

私たちの心の倉から出る言葉

マタイによる福音書12章33~37節には、二つのたとえを通して人を傷つける言葉を戒める、主イエスの説教が語られています。 一つ目は「木とその実のたとえ」です。主は「木が良ければその実も良いとし、木が悪ければ…

マタイ 13章

「良い土地に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて悟る人であり、あるものは100倍、あるものは60倍、あるものは30倍の実を結ぶのである。」 マタイによる福音書 13章23節

心に良い土地を用意する

マタイによる福音書13章1~23節には、主イエスの「種を蒔く人のたとえ」が語られています。主はこのたとえを通して、私たちの心という土地の有り様によって、蒔かれた御言葉の種が成長し、豊かな実を結ぶか否かが決…

マタイ 14章

イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」 マタイによる福音書 14章16節

食べ物を与え養われる主イエス

洗礼者ヨハネが殺されたことを伝え聞いた主イエスは、人里離れた所に退かれました。しかし、群衆が主イエスの後を追って集まって来たため、一人になることはできませんでした。主イエスが舟から上がると、大勢の群…

マタイ 15章

そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」 マタイによる福音書 15章28節

カナンの女の立派な信仰

主イエスは、弟子たちと一緒にティルスとシドンの地方へ行きました。すると、カナンの女が来て叫びました。「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」。しかし、主イ…

詩編 47編

すべての民よ、手を打ち鳴らせ。
神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ。 詩編 47編2節

民よ手を打ち鳴らせ

ジュネーブ詩編歌に親しんでおられる方は、詩編47編の御言葉を読むとき、詩編歌のメロディが自然と心に浮かんでくるのではないでしょうか。「民よ、手を打ちならせ!」 詩人は、エルサレム神殿完成の情景を心に描い…

ヨハネ 3章14-21節

モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。
ヨハネによる福音書 3章14節~15節

上げられて永遠の命を得させる主

主イエスは、ご自身の死の重大な意義を説明するために、かつてイスラエルの民が荒れ野を旅していたときの出来事を引用されます。彼らは指導者モーセに逆らって罪を犯したため、炎の蛇に噛まれて苦しみました。その…

マタイ 16章

すると、イエスはお答えになった。「シモン・バルヨナ、あなたは幸いだ。あなたにこのことを現したのは、人間ではなく、わたしの天の父なのだ。」 マタイによる福音書 16章17節

天の父からいただいた幸い

主イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちにこうお尋ねになりました。「人々は、人の子のことを何者だと言っているか」。弟子たちは、「『洗礼者ヨハネだ』と言う人も、『エリヤだ』と言う人も…

マタイ 17章

すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。 マタイによる福音書 17章5節

高い山での神からの啓示

ペトロの信仰告白から6日の後、主イエスは、ペトロとヤコブとヨハネの3人だけを連れて、高い山に登られました。 弟子たちの前で、主イエスの姿が変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなりました。弟子…

マタイ 18章

「自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」 マタイによる福音書 18章4節

天の国でいちばん大いなる者

あるとき、弟子たちが、主イエスのところに来て、こう尋ねました。「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」。すると、主イエスは、一人の子供を呼び寄せて、弟子たちの真ん中に立たせて、こう言われ…

出エジプト 1章

そのころ、ヨセフのことを知らない新しい王が出てエジプトを支配し、国民に警告した。 出エジプト記 1章8節~9節

エジプトで強制労働に服する

出エジプト記を学びましょう。この書は、イスラエルのエジプト脱出の物語です。族長ヤコブと彼の家族70人は、カナンの飢饉を逃れて、エジプトに避難しました。ヤコブの息子ヨセフがエジプトで宰相となっており、一…

出エジプト 2章

その子はこうして、王女の子となった。王女は彼をモーセと名付けて言った。「水の中からわたしが引き上げた(マーシャー)のですから。」 出エジプト記 2章10節

男の子の名はモーセ

主なる神は、どのようにイスラエル人の出エジプトを備えられたのでしょうか。主は一人の幼子を備えられました。その子の名はモーセです。 エジプトの王がイスラエル人の男児をナイル川に捨てよと命令する状況のもと…

詩編 48編

大いなる主、限りなく賛美される主。
わたしたちの神の都にある聖なる山は
高く美しく、全地の喜び。 詩編 48編2節~3節

新しいエルサレムの希望

46編から続いて来た「賛美の詩編三部作」の最後の詩編です。48編は、シオンの山と呼ばれる神の都エルサレムに焦点を当てています。エルサレムは聖なる神の神殿が築かれている特別な都なのです。 城壁で囲まれた街に…

ヨハネ 12章20-33節

「今、わたしは心騒ぐ。…しかし、わたしはまさにこの時のために来たのだ。父よ、御名の栄光を現してください。」 ヨハネによる福音書 12章27節~28節

御名の栄光イエスの選択によって現る

主イエスは公的宣教の最後にエルサレムに入られました。時は過越祭。ご自身が栄光を受けられる時が来たのを悟った主イエスは言われます。「今、わたしは心騒ぐ」。ここに、主イエスが心に一瞬の動揺を覚えられたこ…

出エジプト 3章

また、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。」 出エジプト記 3章14節

わたしはあるわたしはあるという神

成人したモーセは、同胞を助けるためにエジプト人を殺したため、ミディアンの荒れ野へと逃げました。その地で彼はミディアンの祭司の娘と結婚し、40年を過ごしました。 3章にはモーセの召命が記されています。主な…

出エジプト 4章

モーセは逆らって、「それでも彼らは、『主がお前などに現れるはずがない』と言って、信用せず、わたしの言うことを聞かないでしょう」 出エジプト記 4章1節

モーセ、主を信じる

4章を理解する鍵の言葉は、「信用(信じる)」です。モーセは、主の派遣命令を固辞しました。エジプトの同胞たちが彼を主が遣わされた者と信用しないだろうと言います。 そこで主はモーセに二つのしるしを与えられ…

出エジプト 5章

「ヘブライ人の神がわたしたちに出現されました。どうか、3日の道のりを荒れ野に行かせて、わたしたちの神、主に犠牲をささげさせてください。」 出エジプト記 5章3節

モーセとアロンファラオと交渉する

5章では、モーセとアロンがエジプトの王、ファラオのもとに行き、イスラエル人の出国を交渉します。荒れ野で神に犠牲をささげに行かせてくださいと言って交渉しました。 王はモーセとアロンが告げる神に反発し、イ…

出エジプト 6章

「わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名を知らせなかった。」 出エジプト記 6章2節~3節

主よ御心を為したまえ

主なる神は、主体的にモーセと共にあろうとして彼に臨まれます(3章12節)。主はモーセに宣言されました。「わたしは主である。わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに全能の神として現れたが、主というわたしの名…

出エジプト 7章

「わたしがエジプトに対して手を伸ばし、イスラエルの人々をその中から導き出すとき、エジプト人は、わたしが主であることを知るようになる。」 出エジプト記 7章5節

奴隷からの解放の始まり

モーセとアロンが最初にファラオと交渉したとき、ファラオは「わたしは主など知らないし、イスラエルを去らせはしない」と答えました(5章2節)。再度始まるファラオとの交渉を前にして、主なる神はこれからの見通…

詩編 49編

しかし、神はわたしの魂を贖い
陰府の手から取り上げてくださる。 詩編 49編16節

メメント・モリ死を覚えよ

詩人は最初に「諸国の民よ」と呼びかけ、そして言います。「耳を傾けよ」。詩人は、今から人生と世界の知恵を語り、その謎を解くというのです。 人は必ず死ぬこと、そして人はそれを知らないかのように生きていると…

マルコ 15章1-39節

しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。すると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた。 マルコによる福音書 15章37節~38節

神殿の垂れ幕除く主イエスの死

主イエスは十字架での御業を成し遂げられて、大声を出して息を引き取られました。そのとき、大変不思議なことが起りました。神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けたというのです。 当時、エルサレムの神殿の奥…

出エジプト 8章

…ファラオの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。主が仰せになったとおりである。 出エジプト記 8章15節

エジプトに手を下されるまことの神

7章から8章にかけて、最初の四つの災いが記されています。ナイル川の水が血に変る災い、蛙、ぶよ、そしてあぶの災いです。神による災いが続く中で、ファラオの心は頑なです。主が言われたとおりでした。同時に神の…

出エジプト 9章

「しかしわたしは、あなたにわたしの力を示してわたしの名を全地に語り告げさせるため、あなたを生かしておいた。」 出エジプト記 9章16節

神の主権と救いの深まり

9章には、家畜の疫病、はれ物、雹という三つの災いが記されています。はれ物の災いでは魔術師たちにもはれ物ができ、ファラオの前に立てなくなります。こうしてエジプトの魔術師たちへの神の勝利が決定的なものとし…

出エジプト 10章

人々は、3日間、互いに見ることも、自分のいる場所から立ち上がることもできなかったが、イスラエルの人々が住んでいる所にはどこでも光があった。 出エジプト記 10章23節

神の民に差し込む神からの光

この章では、いなごの災いと暗闇の災いが記されます。11、12章で記される最後の決定的な災い、過越に至る前の災いです。 主はモーセに、ファラオとその家臣の心を頑迷にしたのは「わたし自身である」と言われます。…

出エジプト 11章

「わたしは、なおもう一つの災いをファラオとエジプトにくだす。その後、王はあなたたちをここから去らせる。」 出エジプト記 11章1節

救いの時を満たす神のご計画

暗闇の災いを受けてファラオはモーセを呼び、「行って、主に仕えるがよい」と伝えます。しかし、それは条件つきでした。そして主がまたファラオの心を頑なにされたので、ファラオは彼らを去らせようとしませんでし…

出エジプト 12章

「『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」 出エジプト記 12章27節

過越によるエジプト脱出

ジプトの初子が撃たれるという決定的な神の御業によって、ついにイスラエルの民はエジプトの奴隷の家から解放されます。 これまで民を去らせようとせず、頑なで強気だったファラオは、完全に打ちのめされました。彼…

出エジプト 13章

「あなたは、この言葉を自分の腕と額に付けて…主が力強い御手をもって、あなたをエジプトから導き出されたからである。」 出エジプト記 13章9節

いつまでも神の救いを忘れずに

主はモーセを通してイスラエルの民に除酵祭、すなわち、酵母を入れないパンの祭りを守るようにとお命じになりました。正月の14日の夕方から21日の夕方までの7日間(12章18節)、酵母を入れないパンを食べ、最初の日…

ヨハネ 20章1-9節

それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。 ヨハネによる福音書 20章8節

心の目で見るキリストのよみがえり

このイエス復活物語に「見る」という言葉が4回登場します。1回目の「見た」(1節)と2回目の「のぞく」(5節)は原語のギリシャ語で「肉眼で普通に見る」という意味の単語が使われています。ですから、まだ何も悟っ…