実体はキリストにあります | コロサイの信徒への手紙 2章

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コロサイの信徒への手紙 2章

だから、あなたがたは食べ物や飲み物のこと、また、祭りや新月や安息日のことでだれにも批評されてはなりません。これらは、やがて来るものの影にすぎず、実体はキリストにあります。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 コロサイの信徒への手紙 2章16節~17節

実体はキリストにあります

コロサイの教会には、食べ物や安息日、割礼など、旧約時代から守ってきた教えを守るべきだと主張するユダヤ人キリスト者がいたようです。それらの教えは、彼らの伝統になっていました。そのため、彼らは、律法が禁止している食べ物を食べ、割礼を受けようとしない異邦人キリスト者をまるで罪人であるかのように批判していたようです。

しかし、それらの教えは「やがて来るものの影に過ぎず」と今日の御言葉は語ります。「実体はキリストにあります」と言うのです。安息日や割礼はキリストを指し示すのであり、キリストに結ばれることにこそ救いがある、ということです。

世界の諸教会は、それぞれの伝統と文化の中で信仰を受け継いでいます。韓国の教会の場合、朝の祈祷会を重んじる伝統があります。それは大切に受け継がれるべきものですが、それが先立ってしまうと、「実体」を差し置いて「影」だけを見ることになるでしょう。「影」が人の信仰を評価する基準になってはいけません。

多様な礼拝や祈祷会のあり方が模索される時代の中で、主イエス・キリストを仰ぐことが大切です。キリストこそが見つめられるべきなのです。

金 昭貞(JEM日本福音宣教会)