貧しさゆえの幸い | マタイによる福音書 5章1-12節

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マタイによる福音書 5章1-12節

「心の貧しい人々は、幸いである、
天の国はその人たちのものである。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 5章3節

貧しさゆえの幸い

神の支配の到来を目の当たりにした大勢の群衆は、「御国の福音」、また癒しの数々を目の当たりにして主イエスに従って来ました(4章23~25節)。その彼らに、主イエスがされたことは、「説教」することでした。主の弟子たちが主イエスを囲み、その周りを群衆が囲んだのでしょう(5章1節、7章28節)。

その中で主イエスは開口一番、「幸いな者」について語り始められます。特に、3節の御言葉から聞きたいと思います。幸いについて語られるこの箇所で、全体の基調とも考えられる「貧しい人々」の「貧しさ」とは、単に物質的な貧しさを意味する言葉ではありません。「心の貧しい人々」と言われていますので、それよりももっと深い意味の言葉です。生きる上で拠りどころがない、力に出来るものが自分にはない、或いは自分の心には何もないという意味での「貧しさ」のことです。それ故に、ただ神の力に依り頼むしかない。全面的に御言葉によりすがるよりほかない。こういう状態の人のことなのです。

主イエスはそのような群衆を目の前にして、そして弟子たちに、そのようなあなたは幸いだと言われました。この箇所から、自らの貧しさはどこなのかを思い巡らすと同時に、そのような貧しい自分が主に在ることの幸いを覚えたく思います。

【祈り】

自分の想像を超えて、今主に在る幸いに入れられていることへの感謝。

大木 信(西鎌倉教会)