主の言葉を聞くことにおいて始まる | ローマの信徒への手紙 10章

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ローマの信徒への手紙 10章

信じたことのない方を、どうして呼び求められよう。聞いたことのない方を、どうして信じられよう。また、宣べ伝える人がなければ、どうして聞くことができよう。
実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 ローマの信徒への手紙 10章14節、17節

主の言葉を聞くことにおいて始まる

カルヴァンは『キリスト教綱要』で次のように述べています。「わたしは、全く何ひとつの像も許されてはならないと考えるほど、迷信〔的な潔癖感〕にとらわれてはいない。むしろ、彫刻や絵画は神からの贈り物なのであるから、わたしはこれらを純粋に・正当に用いることを要求する」(第1篇、第11章12節)。画像などについて、芸術としては認めると彼は言います。しかし画像(偶像)を拝むべきではないと批判します。

『ハイデルベルク』は、神を拝むことは、物言わぬ偶像によってではなく、御言葉の生きた説教によると告白します。パウロは、信仰とは聞くことであり、しかもキリストの言葉を聞くことによって始まると述べます。この言葉によれば、神を礼拝するとは、画像を拝むことではなく、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。

カルヴァンの宗教改革は、「神の言葉に徹底的に聞くこと」がその主旨です。私たちもこのカルヴァンの信仰を覚え、聖書が語っているように、ただ神の言葉に始まって、神の言葉に聴くという姿勢をもって礼拝に臨み、その姿勢を守り続けていきたいものです。

潮田 祐(盛岡伝道所)