私たちが見捨てられないために | マタイによる福音書 27章

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マタイによる福音書 27章

三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。日本聖書協会『聖書 新共同訳』 マタイによる福音書 27章46節

私たちが見捨てられないために

主イエスが十字架にかけられたとき、周囲の人びとは、「他人は救ったのに、自分は救えない。…今すぐ十字架から降りるがいい」と言って主を侮辱しました。主イエスは十字架から降りようと思えばそうすることがおできになります。しかし、あえて十字架の苦しみを最後までお受けになり、死んで陰府に降られました。主イエスご自身が、「神に見捨てられる」という苦しみをお受けになったのです。

私たちは、信仰生活をしていくときに、試練の中でも信仰を貫いていく自分の姿を思い描くことはないでしょうか。しかし私たちも、ペトロがそうであったように、いざとなれば主イエスを否定し、主を捨ててしまう弱さを持ってはいないでしょうか。生まれながらの私たちは、そのままでは神に見捨てられるほかない者です。しかし、主イエスが私たちの身代わりに、「神に見捨てられる」という何よりも悲惨な苦しみを引き受けてくださいました。それが十字架です。主イエスがすべてを引き受け、担ってくださいました。だから、私たちはどんなときにも神に見捨てられることは決してないのです。

金原 義信(豊明教会)