神の正義が正義として貫かれる | 創世記 38章

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創世記 38章

ユダは調べて言った。
「わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』 創世記 38章26節

神の正義が正義として貫かれる

ヤコブの息子の一人であるユダが、自分がないがしろにした女性タマルによって救われます。これが彼の人生の転機となっています。タマルが身ごもった子どもの父親を示す持ち物を示したとき、ユダは自分が罪人であることに気づきました。息子の妻であるタマルと性的関係を持ったことだけでなく、タマルをどのように扱ってきたかについても、です。

非難されるべきはユダであって、タマルではありません。むしろ、彼女がしたことによって、ユダは自分がいかに神の御心から遠く離れてしまったかを悟り、謙遜にされました。それゆえ、彼は「わたしよりも彼女の方が正しい」という、驚くべき結論を口にします。正義が正義として貫かれました。

ユダは、神と家族から離れて生きていた(1節)ところから、悔い改めて生きる者へと神によって造り変えられました。それだけでなく、ベニヤミンの身代わりとなることを申し出て(創44章16節以下を参照)、神の贖いの御業を指し示す器とされました。こうして、主なる神は、不思議な仕方でユダとタマルを導かれました。タマルは、自分と生まれてくる子どもの命を守るだけでなく、やがてメシアの系図に名を連ねることにもなりました(マタ1章3節参照)。

【祈り】

主よ、罪の悲惨に失望する中でも、どうか私たちを御自分のものとしてお導きください。

ステファン ・ファン・デア・ヴァット(神戸改革派神学校)